今回は、独り善がりについてお話したいと思います。

 人の悩みというものは、尽きないものです。悩みを聞いていて面白い事に気付きます。多くの方は、他人の事や相手の方の非難、悪口は話されますが、自分の悪い事を話される方はまずおられません。それどころか、自分の事は褒められます。

 おかしいとは思いませんか。その様な事が日常の生活の中で当たり前になっているのです。

 人は皆、「自分は正しい」という所から全てスタートしているようです。

 この世に本当に正しい人、間違いをしていない人が存在すると思いますか。

 皆さんはこの問い掛けには全員ノーと云われるでしょう。しかし、人間は自分だけは別なのです。自分が正しくないという認識は皆無なのです。ここが、今回の話の要です。それほど、人は自分の間違いに気付くことが出来ない生き物なのです。ですから、日常生活で考え方を改めようと思う人はいないという事です。

 皆が皆、毎日をこの事を基準に生活しているのですから、親子、夫婦、兄弟、上司、同僚、あらゆる人間関係で何年、何十年と悩みや問題が解決しない原因の一つは此処に有るということです。

 「バカは死ななきゃ直らない」という語句も正確には間違いの様です。お釈迦様は、魂に肉体を与えられる縁を次の様にお説きになっています。

 過去に犯した罪咎を身に受けることにより、己はどの様な間違いをしてきたか肌で感じ気付く事が出来る。故に、全て肉体のある時に身に受け、肉体の有る間に肉体を使って懺悔し改める為に此の世に肉体を頂いたのであると。

 即ち、生きている間に己の愚かさに気付き、改めることが出来た者は良くなるのであって、改めないままで死んだ者は死んでも直らないということが真実の様です。

 しかし、それでは、人として此の世に生まれさせて頂いた意味を失う事に成ります。そこで、独り善がりの恐ろしさをお話して、皆様に気付いて頂ければと思います。

 独り善がりは字の如く、此の世で自分だけ善いと思っている人の事です。周りは全部間違っていると感じて生活している人です。人間は、間違っていると思っている人の云うことは絶対聞こうとしません。正しいことを云っていても間違いとしか聞こえないので、独り善がりの人が自らを改める事は望めません。家庭でも会社でも、独り善がりの人が居るとその周りはストレスを溜め、精神に異常をきたす人もおられます。

 人間は自分を認めてくれる人が居てくれて、安心と生き甲斐を持つことが出来ます。

 しかし、先程も申しましたように、独り善がりの人は、周りを一切認めません。家庭の中や職場の中で周りを認めようとしない人がいると、安心が無くなり、生き甲斐、やり甲斐を無くし、言い合い、あらそい、喧嘩が絶えなくなります。周りを認めない人が、周りから認めてもらえると思えないでしょうが、面白いことに、独り善がりの人は周りは自分を認めていると思い込めるから、人とは不思議なものです。家庭の主や社会的集団の主は、立場と金と権力を振り回して独り善がりに成りがちです。

 家庭も社会も人が成長する大切な場です。その場はそこに居る全員が一生成長するに必要な環境を保たれて居ることが大切です。

 人は安心と生き甲斐の有る環境では大きく成長します。そこにはお互いを深く認め合う心が有るからです。深く認め合う中に気付ける注意をもらった時、人は直ぐに改善と成長に向けて努力が出来るものです。しかし、人格否定の中での注意は反発のエネルギーを生むか、自らの存在を否定する方向に向かいます。相手を認めようとする心は、相手の存在を大きくいっぱいに生きて活かそうとする心でもあります。家族全員がこの心を持てたとき、皆が成長し、お互いを活かし活かせる人となれます。

 しかし、独り善がりの人が居ると、周りを活かすことは出来なくなります。特に夫婦の関係を見れば良く分かります。

 例えばご主人が独り善がりであれば、奥様の云うことは聞かないことになります。奥様は身近にいて、此の世で親より最も客観的に正しく観察してくれている人です。本人以上に主人の改めれば良いところを知っているのが奥様でしょう。此の世で最高の先生である奥様の云う事を聞かない程、愚かしい主人はいないと思います。奥様の云うことを聞けない主人は、奥様の存在を活かせてない事になります。奥様の存在を活かせない主人が、子供たちを活かす事など出来る筈がありません。まして社会で人を活かすことなど到底出来るわけがありません。家庭に在って奥様の存在を活かせない人は、結局は自分も活かせて無いことに気が付くべきです。

 二十年生きても、七十年生きても独り善がりの人生は誰も活かすことが出来ない人生と成り、最後は自分自身も活かすことが出来なかった人生と成るのですが、その事にも気付かず一生を終えるのです。

 毎日人の話を聞いていると、皆が独り善がりに陥っていることを深刻に感じます。

 皆さんは毎日多くの努力をして生きておられます。しかし、努力も己の独り善がりに気付かなければ十年努力をしても、七十年努力をしても全く無意味な憎悪だけを残す人生に成る事は知っておいてください。それも、毎日の日常生活の中で起きていることを。

 人を活かす為には、菩提心が不可欠であるとお釈迦様は説かれています。先ずは身近な人を充分活かせているか、心の底から認め信頼し尊敬出来ているか、確認してみてください。今からでも遅くはありません。ご自身の中でその事が出来、相手もその様に思って頂いていることが確認出来れば、ご自身の人生は活かせているということです。

 この様に日常生活で出来る教え、己の明日の生き方を示し教えている、と書いて宗教と云い、一生己を改め続けることを修行と云っています。

 親を活かすことが出来る人は先祖を活かすことが出来ます。霊界の先祖を活かすことが出来た人が、此の世で己を活かせる人であるとお釈迦様は説かれております。親に多くの喜びを与えられた人に楽しい人生は待っているようです。

 宗教は難しいと思っておられる方、少し視点を変えてみませんか。日常生活の中で、気が付いたら直ぐに改めていく、このことで人生が好転する。この様な事を説かれているものが本当の宗教です。想像の世界の事を説かれているものではありません。奇跡を説かれているのでも、大金持ちに成る為のものでも、病が治るものでもありません。又、無知な人間が経文について議論するものでもありません。

 難しいことに価値を見いだす事は良いことのように思いがちですが、もっと身近な奥様や子供や親や先祖を活かす事の方がもっと価値の有ることではないでしょうか。

 相手の人生を生き生きと活かしきった人のみが、自分の人生も活かすことが許されるのです。

合掌