この頃は、親孝行という言葉をあまり耳にしなくなりました。親孝行についてどのように思っておられるのか、色々な方にお伺いしました。その答えは、子供に負担を掛けたくない、気を遣いたくない、生活リズムが違う、食べ物が違う、干渉されたくない、考えが合わない等、される親からもする子供からも同じ様な答えが返ってきました。また、親孝行を強要する親がいることも解かりました。

 そこで今回は、順と心と親孝行について少し考えてみたいと思います。

 朝目覚め、顔を洗い口を漱ぎ、神佛に先祖に挨拶をし親に挨拶をし、食事を頂く。この順をわきまえ生活に溶け込ませている家庭はどれほどあるのでしょう。今の時代に合わないと思われる方も多いでしょう。しかし、今社会で起きている、あらゆる問題の根本原因は、此処にあると思うのは間違いでしょうか?

 順と心と親孝行は密接な関係が有ると思います。順はルール、規律を現します、皆がルールを守ると事故は最小限に止められますが、守らなければ事故がまた事故を呼びます。親が、先祖や神仏の尊さ、命の尊さを伝え、生きとし生けるもの総ては、尊き役目を持って此の世に生まれさせて頂いているのだと伝え、また、人は神仏先祖にお仕えするものだと伝え、その正しい姿を毎日の生活の中で見せる事が、順の始まりだと思います。

 また順は、子供の成長と共に失われやすいものです。何故なら子供は何時も親を越えようとしています。順をわきまえ、心が育った子は良いのですが、心の育っていない子が腕力一つでも親を越えたと思った瞬間から、総ての規準が崩れ始め暴走が始まります。暴走は三、四才からすでに始まっている子もいますが、その事を親はどれ程認識しているのでしょう。

 今皆さんの回りに日常起きている事がそのよい例ではないでしょうか。規準が崩壊すると、人といえども弱肉強食の世界、餓鬼畜生となり下がります。力弱い者、社会の落ちこぼれ、老人を軽視する事となり、家庭内暴力、閉じこもり、体調不良で会社を休むと自分のポストは無くなり、父親がリストラになると離婚、家庭崩壊まで至る。自己をコントロールすることが如何に難しいか、必死に生きている方々は毎日気付かれておられることでしょう。多くの人は家庭、社会、法律、約束と色々な良い決まりと先祖、神佛の慈悲、人の愛情によって自己が暴走しないように守って頂いているように思えます。

 自己をコントロールしてくれるものは、親に育てて頂いたほんの僅かな心の欠片です。大方はその欠片で一生を過ごしてしまいます。と申しますのは、親に育てて頂く心は十二才頃まででしょう。なぜなら個人差はあるにせよ此の年令以後は、親の意見を素直に聞き入れなくなるからです。その日から心は、育っていないはずです。そこが人間の愚かさ、体と共に心も成長していると錯覚してしまうのです。心が育っていないと自己顕示欲、金銭欲、物欲、名誉欲、食欲等人間のあらゆる欲が、そのままストレートに現れてくるのです。即ち、規準が無いところに心は育たないと言う事を忘れないことです。体は食べ物さえ与えれば育ちますが、心は多くの良き縁にはぐくまれないと育ちません。今の社会は、心の未熟な親が子供を育て、より未熟な心の子供が社会に対応出来ずに現れてきた現象だと思います。

 心の未熟さは、親に対する時にも顕著に現れます。親孝行も、親が笑い語らい、と反応が有る間は楽しく接することが出来ますが、痴呆が進み、親子の認識も出来なくなってくると、接することが難しく感じる方があるようです。このことは接する側の心の問題です。本当に親に感謝している人は楽しく接する事が出来ますが、ご自身気付かれることはありませんが、下心の有る人はその量だけ不満や要求事項が増え、解っていないのに世話をしても、仕事が大切、時間がないなどと理由を並び始めます。

 この様に親孝行ほど、する側の心の状態を明らかにしてしまう行為は無いと思います。それは利供養の心を厳しく受け付けないからでしょう。心が豊かでなければ、親孝行は出来ないということです。またそれだからこそ、親孝行が出来る方は、親に仕えれば仕えるほど自身の心が豊かになると同時に、親と接する量だけ自分の心の何が不足しているか、教えて頂けます。その様な繰り返しの中で人の心は練られ、本当に成長するものです。そして、親と子の関係や時期が全て己の魂の成長の為に準備された事であると、気付かせて頂いた方は人生の真理に出会われた幸いな方であると言えるでしょう。心は身近な親から戴く物、またそれが神佛もお認めになる最高の心です。この素晴らしい心を子供に与えようとしない親は我侭で、無知な親と云うほか無いでしょう。

 人の心の一生は、どの様に進み成長していくのでしょう。人は幼き時は家庭や社会、親との約束の良き規律にはぐくまれ、心をお育て頂きます。社会でその心がどれほど未熟なものかを体験します。未熟さに気付いた方は、自らの意志で心の成長を求め、人の道の師に教えを乞われます。そこで、より気高き心を身に付け、親に心から感謝が出来る様になります。そして、親のお世話をさせて頂く時期を迎え、毎日の親へのお仕えの中で人としての心をより深く磨かせて頂き、それを社会で活用し、より無限種類の心と対応し練らせて頂く事が、心の一生の歩みと思います。

 親孝行は、子孫の正しい心を深く育てる事が出来る自然の知恵だと思います。深い感謝と苦難に耐える心を持った子供に育てられれば、今起きているモラル崩壊、学級崩壊、家庭崩壊、閉じこもり、自殺、躁鬱病、思いやりの欠如、利己主義、等々の問題は起こらないのではないでしょうか。

 日頃の己の姿が正しかったか間違っていたか、子孫が四十才に成った頃、子孫から教えられる事でしょう。幼い力無き赤子は親が手を貸して育て、老いて力無き親は子供がお世話をさせて頂く。そして、すでに此の世を去られた親に対しは、毎日尊いお経を読誦し、月に一度はお墓に参拝する。人として最も尊い姿の親孝行です。この事一つ、心有る方は楽しく感謝の心で行えますが、無い方は絶対出来ません。

 春の彼岸の一時、子孫と共々先祖の前にぬかずき、己に心が有るか無いか今一度振り返らせて頂き、心有る方は引き続き御先祖にお経を読み聞かせ、心は無いと気付かれた方はお経を頂き、心を育てていかれるよき機会とさせて頂きましょう。皆様の子孫の方々が、心豊かな家系を築かれることが、必ず子孫繁栄に繋がることをお伝えし、ご先祖をお預かりし、ご先祖の望みを伝えお教えし、身に付けられる手助けをさせて頂くことが寺の役目と心させて頂いております。共に実践していきたく、何時でもお気軽にご相談ください。

 ご先祖の成佛と子孫の心の繁栄を祈願申し上げます。

合掌